ツイッターやりはじめてから、記事を書かなくなっておりました
もう1年も経つのですね。
ブログ仲間さんのところにもお邪魔せず、ご無沙汰しております。
この1年色々あったので、何回かに分けてちょっとずつ書ければと思います。
一番大きかったこと。
母方の祖父母の死です。
じいばあの愛情でもふれましたが、この二人、本当に仲良しだったんです。
記事の後祖母は大した後遺症も無く元気にやっておりました。
しかし、祖父は末期がんで胃を全部摘出、転移していて取りきれず、苦しい抗がん剤治療を続けておりました。
最後に二人に会ったのは今年の1月半ば、祖父が入院してる病院に、祖母と見舞いにいった時です。
病院に行く途中で「何か昼飯食べていこう、ばあちゃん何がいい?」と聞くと、なんとまあ
「味噌ラーメンにすっかな、焼き肉定食もよかっぺな」
というパワフルな答えが(笑)
味噌ラーメンは1/3くらい残しましたが、ちんまりしたばあちゃんの食欲にびっくり。
病院に着いても、「ばあちゃん待ってくれ、私ら病室知らないんだからー」と言うほど早足スタスタ。
祖父はやせ細ってはいましたが、顔色もまずまず、意識もハッキリしていて「まだしばらくは保つな」と思いました。
まさかそれが最後になるなんて。
2月下旬、私は就職したばかりであたふたしていました(因に今は精神状態の悪化により退職)。昼休みにメールを見ると、兄から「福島のばーちゃんが危ないらしい、詳細は後で」と。
じーちゃんじゃなくてばーちゃん?なんで?と思いながら、携帯ちらちら見つつ午後の仕事をしていると、2時過ぎに「やっぱりだめだった」との着信。
なんとなく調子が悪いなあ、と横になっているうちに、亡くなったのです。脳出血。
葬儀には行きたかったのですが、「あんたは仕事始まったばかりだしばあちゃんと一番会ってるし、今回はそっちを頑張りなさい」と言われ、参列出来ず。「どうしてもお別れしたい」と言いましたが、「亡骸見たらお前の方が精神狂っちゃう」と。確かにそうかもしれない。
葬儀には、別れ雪がどか雪となって降っていたそうです。
入院していた祖父も、線香だけはあげねば、と支えられながらようやっとお別れを。
それからひと月も経たない頃。
朝、母に用事があって電話したら、「今それどころじゃないから…」と弱々しい声が返ってきました。
昼に父に電話すると、祖父が朝方亡くなったのです。
それはもう信じられない思いでした。少し落ち着いたかなと帰りに母に電話すると、あの気の強い母が、か細い声でぽつりぽつりと喋るのが精一杯なようでした。
「ばーちゃんに線香あげてないし、今回は行くから!」と葬儀に行きました。
隠居に着くと、二つ並んだ祭壇の前に祖父の亡骸が横たわっていました。
顔を見るともうぼろぼろ涙が出てきて。
看取った母の言葉によると、それは立派な死に様だったそうです。
普通は人工呼吸器つけて痛み止めのモルヒネ打ってとろとろしながら亡くなるのに、祖父は「人工呼吸器も点滴も全部外してくれ、下着を新しいのに替えておむつも取ってパンツをはく、襟もただす。」と言って、手を組んで、母が「ばあちゃんが来たのか?」と聞くと「そうだ」と言って、亡くなったのです。
葬儀の日、もう3月半ばだというのに、急に吹雪いたのです。まるでばーちゃんが迎えにきたかのように。
どこまでも仲良し夫婦。
きっと、祖父は祖母を独り残していくのが気がかりだったのでしょう。祖母が静かに亡くなり、「もういいよ」という気持ちだったのかもしれません。
二人の死はとてもとても寂しいけれど、辛い入院生活を送るより、天国で二人仲良くお茶を飲んでお菓子食べておしゃべり、が似合います。
良い暮らしをおくっていますように…
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